タイ料理に通い続けて20年以上。私はずっと、ある強力な思い込みに囚われていました。
「オップウンセンを食べるなら、エビ一択である」
もしあなたもそう思っているなら、ぜひこの話を最後まで読んでみてください。その思い込み、今日で綺麗さっぱり覆るかもしれません。
【20年間疑わなかった「エビ=正義」の絶対ルール】
タイ料理好きなら誰もが知る人気メニュー、「クンオップウンセン」。 タイ語で「クン」はエビ、「オップ」は蒸す、「ウンセン」は春雨を意味します。エビと春雨をスパイスや香味野菜と一緒に土鍋で蒸し焼きにする、あの名物料理です。
エビの旨味と豚肉のコクを春雨が余すところなく吸い込み、ニンニク、ショウガ、黒コショウの香りがガツンと効いた、辛いのが苦手な人でもハマるマイルドで奥深い味わい。カニを豪快に使った「プーオップウンセン」という贅沢な選択肢もありますが、やはり街の主役は圧倒的にエビでした。
私にとっても、これは20年以上前から身体に染みついた特別な味です。 まだ下積みだった若い頃、当時の社長が日本から来たお客様をもてなす食事会では、必ずテーブルに並ぶ鉄板メニューでした。その光景を何度も目にするうちに、私の中でオップウンセンはタイ料理の絶対的なレギュラーとなっていったのです。
「トムヤムといえばエビ」であるのと同じように、「オップウンセンといえば絶対にエビ」。 冷静に考えれば、トムヤムに魚やチキン、シーフードがあるように、オップウンセンだって自由なはず。なのに私の頭の中は完全に思考停止していました。
【路地裏で二度見した「鴨」の文字】
そんな固定概念にガツンと一撃を食らわされたのが、先日訪れたローカルの店でのことでした。 メニューを眺めていた私の目に飛び込んできたのは、予想もしなかった文字。
なんと、「鴨肉のオップウンセン」。
思わず二度見しました。エビでもカニでもなく、鴨。 一瞬の驚きのあと、頭の中でパズルのピースが音を立てて繋がりました。
そもそもオップウンセンという料理は、中華系タイ料理の流れを色濃く汲む調理法です。ニンニク、ショウガ、パクチーの根、コショウを効かせて蒸し上げるそのスタイル。中華の知恵が詰まったこの鍋に、脂の乗った旨味の強い鴨肉が合わないはずがない。むしろ、エビを超える破壊力を秘めているのではないか。
期待に胸を膨らませ、即座に注文しました。
【春雨が吸い尽くした、濃厚な鴨の脂という暴力】
運ばれてきた熱々の金属鍋からは、食欲をダイレクトに刺激する香ばしい湯気が立ち上っていました。
鍋の縁に美しく並べられた、しっとりとした鴨肉。上にはシャキッとした青ネギとパクチー。 そして主役は、鍋底で鴨の濃厚な脂と出汁を限界まで吸い尽くし、艷やかな飴色に染まった春雨です。
たまらず春雨を一口すすると、ガツンと脳を揺らすような濃厚なコクが口いっぱいに広がりました。 エビの上品な旨味とはまったく違う、野性味あふれるジューシーな脂の旨味。それをピリッと効いた粒コショウと香味野菜の香りがキリッと引き締め、箸を持つ手がまったく止まりません。
噛むほどに旨味が溢れ出す鴨肉を頬張り、旨味を抱き込んだ春雨をかき込み、キンキンに冷えたシンハービールを喉に流し込む。
……完全に優勝でした。 喉を駆け抜ける炭酸の爽快感とともに、思わず声が漏れます。 「これだから、タイはやめられない」
【プーケット中華という、底なしの沼へ】
20年越しに私の固定概念を鮮やかに打ち砕いてくれた、鴨肉のオップウンセン。 この感動の背景にあるのは、中国からの移民文化が独自に根付き、豊かに花開いてきた「プーケット中華」の奥深さです。
タイのローカル料理という親しみやすい顔をしながら、一歩踏み込むと何代にもわたって受け継がれてきた中華の知恵と技が息づいている。王道だと思っていたメニューの枠組みをひとつ外すだけで、そこには見たこともない美食の世界が広がっています。
知っているつもりになっていた街の、まだまだ知らない味。 プーケット中華という底なしの沼に足を踏み入れた私の食べ歩きは、どうやらここからが本番のようです。


コメント